須花城
別名
所在地 栃木県佐野市(田沼町)下彦間町1941
遺構等 曲輪、土塁、堀切、虎口
現状 山林
築城年
築城者 佐野氏
歴代城主 佐野氏、足利長尾氏
形式 山城(比70m、標200m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2010/10 感想
城跡はかなり酷い藪です、主郭には神社が祭ってあり、土塁が取り巻いています。堀切を隔てた西側の郭にも土塁が巡り、土塁上に祠があります。この西側にも堀切があり、更に少し先にもうっすらと堀切があります。主郭の東側にも堀切、郭、堀切と続いていましたが、あまりの藪にここまでで撤退しました。下山する際、間違って城の北側の谷津に下りてしまい、湿地だったため脱出するのにちょっと手間取ってしまいました。
【感想・メモ】

主郭


【道案内】
城跡の地図
下彦間小学校から南南西へ約1.2km。下彦間小学校南方から県道66号を300m程南東へ進んで右折します。300m先で彦間川を渡り、更に100m程西進して左折します。200m程南下した右手の山が城跡です。城の北東側から強引に入ったら右写真のような石仏が幾つかあり、この前を通りながら南へ少し進むと右手(西)へと山へ入っていく道がありました。石仏から5分程で浅い堀切を越え、途中道が分からなくなりますが上を目指すと城跡です。
【歴史】
足利と佐野の境界である須花峠をおさえるため、佐野氏が築城したが、戦国末期には足利長尾氏が領有したと思われる。天正13年(1585)正月、唐沢山城主佐野宗綱は、北条氏に与する足利長尾氏(長尾顕長)を攻めるため須花坂を越えようとした際、鉄砲に当たり討死した。800m程東に位置する正光寺城に宗綱および家臣のお墓がある。
すはなじょう
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