唐沢山城 |
石垣の
枡形虎口
平将門の乱を鎮圧した藤原秀郷の流れをくむ佐野氏の居城で、佐野氏が代々居住した。戦国時代には、上杉謙信をはじめとした攻撃を何度か受けるが、その都度、撃退した。慶長7年(1602)年、佐野信吉が城主の時、唐沢山は廃城を命じられ、慶長12年(1607)新たに佐野城を築いて移り廃城となった。 (『とちぎの古城を歩く』塙静夫著 下野新聞社発行、『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |
東武佐野線「吉水駅」から北東へ約2km、「田沼駅」から南東へ約2km。田沼駅南から県道115号を1km程東進して秋山川を「唐沢橋」で渡り、更に直進して県道141号で山を上がった唐沢山一帯が城跡で、山頂付近に無料駐車場があります。 |
レストハウスがある付近が蔵屋敷、そこから石垣の枡形虎口を抜けた天狗岩は物見です。「大炊井」という立派な井戸を左手に過ぎ、神橋が架かる堀切を過ぎた左手が広場のような三の丸です。その東が神楽殿がある二の丸で東以外の三方を石塁に囲まれており、本丸は唐沢山神社が鎮座していて立派な石垣が取り囲んでいます。更に北東へ進むと堀切で隔てられながら金の丸、杉郭、北城と続き、その先のも堀切がありますが、郭はキャンプ場などの施設になっています。本丸東下には車井戸があり、本丸南の社務所がある南城も石垣で囲まれ、南側の堀切から更に下っていくと堀切や屈曲した横堀、三日月形の堀と虎口などかなり変化のある遺構が楽しめます。大炊井北側の避来矢山には神社が鎮座し、駐車場から道路を南へ下った鏡岩がある先にも堀切があります。まだ山のあちこちに遺構が散在しているようで、見方によっては一日かけても全然足りないお城です。 |
南城から
下った位
置にある
三日月形
の堀と道
本丸石垣
南城の石垣
別名 | 根古屋城、栃本城、牛ケ城 | ||
所在地 | 栃木県佐野市富士町 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、空掘、石垣、井戸、碑、説明板 | ||
現状 | 唐沢山県立自然公園 | ||
築城年 | 天慶3(940) | ||
築城者 | 藤原秀郷 | ||
歴代城主 | 藤原、佐野 | ||
形式 | 山城 | ||
訪城日 | 2010/6 | 感想 |
からさわやまじょう |