戸倉小学校の西方にある城山が城跡です。登城口は2つあり、1つは東側の光厳寺から、もう1つは北側の神明神社(八雲神社)からで、いずれも駐車スペースや案内板があるようです。私は、光厳寺が館跡とのことで、お寺から登りました。

【感想・メモ】
戸倉城
別名 小宮城、大石定久隠居城
所在地 東京都あきる野市戸倉1563
遺構等 曲輪、堀切、竪堀、水の手、説明板
現状 山林
築城年 15世紀頃
築城者 小宮上野介
歴代城主 小宮氏、大石氏
形式 山城(比210m、標434m)
光厳寺から主郭まで約30分
訪城日 2011/1 感想

主郭

光厳寺と戸倉城(背後の山)

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登城道はハイキングコースとして整備されているものの、結構キツく、上の方は岩場も多いです。30分程で主郭に到着したら、眺望がとても素晴らしく、疲れが一気に吹っ飛びます。その一段下の郭にはトイレがあり、更に西へ進むと鞍部を経て出丸があります。出丸の北に竪堀が、背後にはうっすらと堀切もあります。また、鞍部から北へ少し下りると水の手もあり、この道が大手で下ると神明神社に至るようです。もともと狼煙台程度のお城だったようで遺構としては面白味に欠けます。
城跡の地図
登城口2の地図
登城口1の地図

主郭からの眺め

【道案内】
15世紀頃に武州南一揆(秋川谷から南多摩地域にかけての農村の武士集団)の一員として秋川谷に君臨した小宮氏が居城した。その後、天文15年(1546)頃、北条氏照に滝山城を譲った大石定久の隠居城としても使われていた。ただし、定久が晩年を過ごしたのは山頂ではなく、山麓周辺であったと思われる。後北条氏時代の戸倉城は、甲斐の武田氏への押さえである檜原城との中継の役割を担ったと考えられ、天正18年(1590)八王子城落城と共に廃城となった。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『多摩丘陵の古城址』田中祥彦著
現地説明板
【歴史】

とくらじょう