JR青梅線「宮ノ平駅」から北東へ約300m。宮ノ平駅の北側から250m程北東へ進んだ左手丘陵先端が城跡です。車は駅付近の余白に停めました。
築城時期は不明だが、辛垣城の出城として三田氏が築いたと考えられる。
辛垣城
のある二俣尾に「西木戸」という所があるのに対し、「東木戸」とも称した。三田氏没落後は後北条氏が
勝沼城
の改修と共にこの城も改修したと思われる。後北条氏滅亡後は、甲斐武田氏の旧臣・田辺清右衛門が居城したという。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『多摩丘陵の古城址』田中祥彦著
『資料青梅市の中世城館跡』青梅市教育委員会発行
楯の城
別名
館の城、東木戸、楯の沢砦、宮平館、田辺氏館
所在地
東京都青梅市日向和田1丁目
遺構等
土塁、堀切
現状
山林
築城年
築城者
三田氏
歴代城主
三田氏、後北条氏、田辺清右衛門
形式
丘城
訪城日
2011/2
感想
△
宮ノ平駅から200m程北東へ歩くと、左手に深い沢があり、城跡はこのすぐ東で、要害の地にあることが分かります。沢からすぐの階段を上がり民家の脇を過ぎて山の中へ入っていきます。階段から70〜80m程進んだところで右手の藪に入っていくと堀と土塁が見えてきます。真ん中に虎口があり、その東側は一直線、西側は折れを伴ったもので、これだけなのですが深さと切れがあって見応えがあります。この上方の雷電尾根に矢倉台があり、東方の
勝沼城
、西北の
辛垣城
・
枡形山城
の中間にあることから、矢倉台が番所の役目を担っていたようです。
【感想・メモ】
堀切
【道案内】
城跡の地図
【歴史】
たてのしろ
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