城跡の地図
城下を流れる桑納川から印旛沼へ通じる水運から、臼井城本佐倉城と水運による軍事的・経済的な関連があったと考えられる。戦国時代には、1.6km程東方にある吉橋城(八千代市)城主・高木伊勢守胤定の支配下にあったという伝承がある。この金堀・楠ヶ山に近接する神保郷から吉橋郷一帯は臼井城主の臼井氏支配領域内にあり、神保郷・吉橋郷には臼井一族の神保氏や吉橋氏が拠っていたと思われる。

参考資料
『船橋市史』船橋市役所発行
『千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書』千葉県教育委員会発行
『東葛の中世城郭』千野原靖方著
『日本城郭大系』新人物往来社発行
金堀城

金堀橋を渡って北上した突き当たりの斜め右手に北上する小道があります。これを上がり切った右手が城跡ですが、先程の橋を渡った突き当りを右折し、100m程進んだ東側の川に一番近い民家脇からも上がって行く道があるので、ここから登りました。すると、この道が堀底道となり、城の東から北の堀跡を回って小道に出ます。ここを左折して小道を下ると、金堀橋正面近くに出ます。郭内は土取りによって壊されてしまいましたが、北側の隅部2箇所には出枡形があり、東側には土塁を内側にへこませるなどの防御施設があったようです。また、西側にも郭があったようです。
【感想・メモ】

【歴史】
別名
所在地 千葉県船橋市金堀町
遺構等 空堀
現状 宅地、畑
築城年
築城者
歴代城主
形式 丘城
訪城日 2010/9 感想
【道案内】
かねほりじょう
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東葉高速鉄道「八千代緑が丘駅」から北へ約2.5km。金堀橋で桑納川を北へ渡った正面やや右手の丘陵上が城跡です。