臼井城 |
国道296号(成田街道)「中宿」信号を北へと県道64号に入り、50m程北上した次の信号を左折し、1本目の路地を右折して道なりに500m程行くと右手に城址公園があり、駐車場も完備されています。 |
公園の入口に城址碑と説明板があります。入ってすぐ両側に、すごい空堀があったので、立ち止まって見入ってました。いきなりこんな素晴らしいものが見られて期待大。臼井城は入口から入った二の郭と東側の主郭の2つの郭から構成されており、どちらの郭にも土塁が巡っている上、郭と郭の間には、これまた立派な土橋と空堀があります。単純な縄張だけど、見応えがあって素晴らしい! |
土塁 |
別名 | |||
所在地 | 佐倉市臼井田 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板 | ||
現状 | 城址公園 | ||
築城年 | 永久2(1114) | ||
築城者 | 臼井六郎常康 | ||
歴代城主 | 臼井、原、酒井 | ||
形式 | 丘城 | ||
訪城日 | 2005/7/29 | 感想 | ◎ |
うすいじょう |
永久2年(1114)、千葉常兼の子・常康が築城し、臼井氏を称した。室町〜戦国時代にかけ臼井城は何度か戦乱に巻き込まれ、文明11年(1479)太田道灌、弟・太田持資、資忠の軍が臼井城を攻め、道灌軍が臼井城を落城させたが、太田図書資忠他、五十余名が戦死した(臼井城のすぐ側に図書の墓碑あり)。その後も、上杉謙信、正木大膳らに攻められ、永禄7年(1564)、千葉氏の家老・原胤貞が城主となった。天正18年(1590)秀吉の小田原征伐の際、徳川の房総別働隊に敗れ、徳川譜代の酒井家次が3万石で入った。文禄2年(1593)、城内より出火し、城は灰燼に帰した。慶長9年(1604)、酒井家次の移封に伴い廃城となった。 |
縄張図(現地説明板より) |
土橋 |