城跡の地図
岩ヶ崎城
城跡の西側は宅地開発されて遺構はありません。東側の山林部分には何となく土塁?、空堀?と思えるところがあるものの、はっきりしません。石積みが少しあるのですが、これも遺構なのかどうかよく分かりませんでした。
【感想・メモ】
別名 城山
所在地 千葉県香取市(佐原市)佐原ホ
遺構等 曲輪、土塁、空堀
現状 山林、八幡神社、稲荷神社、宅地
築城年 戦国末期
築城者 国分氏・鳥居筑後守
歴代城主 鳥居筑後守、鳥居元忠
形式 丘城
訪城日 2008/8 感想
【道案内】


いわがさきじょう
【歴史】
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JR成田線「佐原駅」から北西へ約1km。佐原駅西方の国道356号を西進し、国道51号をくぐって100m程先を直進します(国道356号は左前方)。この正面小山が城跡で、すぐ右手に八幡神社があるのでここから登ります。
戦国末期、国分氏が築城し、その家臣・鳥居筑後守が居城したが、天正18年(1590)常陸の豪族山田天庵・栗林義長に攻められ落城した。その後、関東に入国していた徳川家康が家臣・鳥居元忠を4万石で本矢作城に置いたが、元忠は佐原の開発のため岩ヶ崎城に移ろうと城の改修を急いだ。しかし、関ヶ原合戦が起こり元忠は伏見城を守って戦死し、その子忠政は慶長7年(1602)陸奥の磐城10万石に国替えとなり、岩ヶ崎城は未完成のまま廃城となった。(『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)