伏見城 |
別名 | 木幡山伏見城、伏見桃山城 | ||
所在地 | 京都府京都市伏見区桃山町二の丸 | ||
遺構等 | 模擬天守、堀跡、移築門 | ||
現状 | 伏見桃山陵 | ||
築城年 | 文禄3(1594) | ||
築城者 | 豊臣秀吉 | ||
歴代城主 | 豊臣、徳川 | ||
形式 | 山城(比80m) | ||
訪城日 | 2007/10/27 | 感想 | △ |
瀬戸物町
源空寺山門(城門)
文禄元年(1592)豊臣秀吉は隠居所として伏見に築城を開始し、文禄3年に伏見城へ移った。しかし、慶長元年(1596)大地震で倒壊したため、すぐに秀吉は普請を行い、翌慶長2年には天守をはじめ殿舎が完成した。慶長3年、秀吉が伏見城で没し、直ちに徳川家康が伏見城に入城した。慶長5年、家康は鳥居元忠に伏見城の守備を命じ、自らは会津上杉氏征伐に向かった。その隙に石田三成らが挙兵し、大軍で攻撃したため伏見城は炎上して落城した。慶長6年、家康は伏見城を復興した。元和元年(1615)大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡し、三代将軍家光の時、江戸幕府の基礎も固まったため伏見城は廃城となった。寛永2年(1625)伏見城の破却は完了し、五層の天守が二条城に移築されたほか、城内の建物や石垣は寺社など各所に転用された。二条城の天守や大坂城の伏見櫓は焼失したが、福山城伏見櫓は現存している。 参考資料 『日本城郭大系』新人物往来社発行 |
桃山町伊庭
桃山町大蔵
御香宮門前町
御香宮門前町
JR奈良線「桃山駅」から北東へ約900m、近鉄丹波橋駅から東へ約800m。JR桃山駅から300m程北上して右折し、道なりに500m程坂を上がっていくと道路終点に有料駐車場があり、模擬天守が建っています。城跡はここから南の伏見桃山陵です。 |
初めて訪れた時は「伏見桃山キャッスルランド」という遊園地で、模擬天守の中は黄金の茶室があり、まばゆかったです。しかも模擬天守が大きいため、高さがあって上からの眺めが良かったです。2003年1月に閉園になり、模擬天守だけ残っています。城跡は伏見桃山陵で入れないため、近場の移築門や復元石垣などを訪れましょう。 |
御香宮(残石)
御香宮山門(大手門)
伏見北堀公園(外堀)
桃山東小学校(復元石垣)
ふしみじょう |