高見城
別名 世津山城、四津山城
所在地 埼玉県小川町高見字四津山
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、碑、説明板
現状 世津山神社、山林
築城年 室町時代?
築城者 石井九郎右衛門政綱?
歴代城主 石井氏、増田氏
形式 山城(比100m)
参道入口から主郭まで約7分
訪城日 2009/1 感想
神社への参道入口に高見城趾の石碑があり、ここから6〜7分登ると神社で主郭となります。主郭にお城の説明板があり、北側に虎口があります。ここから北西へ2郭・3郭・4郭と続き、各郭との間に堀切があります。城跡は整備されていて歩きやすく、「堀切跡」「二の郭跡」等、要所に案内表示もあります。また、参道途中に「犬走り跡」の表示もあり、そちらへ行ってみると、山の中腹・主郭の下方東〜南にかけて道があります。

【感想・メモ】

主郭背後の堀切

【道案内】
城跡の地図
県道11号と県道296号が交差する「奈良梨」信号を西北へと県道296号へ入り、1.4km程進んで直進方向の県道184号に入り、更に500m程西北に進んで左折します。800m程西進して右折したすぐ左手に「四津山神社」への参道があり、この神社が城跡です。周辺は道が狭いので注意してください。
【歴史】
築城年や城主は不明な点が多いが、『青木家家譜』によれば治承4年(1180)青山城主青木山城守氏久配下の石井九郎右衛門政綱が居住したと記され、『新編武蔵風土記稿』では、長享元年(1487)に没した増田四郎重富の居城と伝えている。また、長享2年(1488)及び延徳3年(1491)の二度にわたり、城の北東方向の高見ヶ原にて、山内上杉氏と扇谷上杉氏による激しい合戦が繰り広げられたと伝えられる。山内上杉顕定は中条定房を援軍とし、扇谷上杉定正には古河公方足利政氏と長尾伊玄が援軍だった。高見城は山内上杉方の本拠であった鉢形城の支城として存在していたと考えられる。(現地説明板、『中世北武蔵の城』梅沢太久夫著、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)

たかみじょう
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