畠山重忠館
別名
所在地 埼玉県深谷市(川本町)畠山
遺構等 井戸、碑、説明板
現状 畠山重忠公史跡公園
築城年 平安末期
築城者 畠山重能
歴代城主 畠山重能、畠山重忠
形式
訪城日 2009/1 感想

秩父鉄道「永田駅」から南東へ約1.2km。荒川を県道69号「植松橋」で南へ渡ってすぐの信号を右折します。1.3km程道なりに西進すると左手に「畠山重忠公史跡公園」があります。大きな看板があるのですぐに分かります。ここが館跡で、公園に駐車場が完備されています。
【道案内】
城跡の地図

【感想・メモ】
はたけやましげただやかた
【歴史】
結構広い公園で、重忠が馬をかついでいる姿の像や、産湯の井戸、重忠や家臣らのお墓があります。
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鎌倉時代、関東武士を代表する武将である畠山重忠は、長寛2年(1164)秩父庄司重能の二男としてこの畠山館に生まれ、幼名を氏王丸と言い、後に畠山庄司次郎重忠と称した。重忠の祖先は秩父権守重綱以来秩父郡にあり、代々武蔵の総検行職を司り、重能の代に秩父郡吉田町からこの畠山に居を移し、畠山庄司となり畠山姓を名乗った。重忠は源頼朝に仕えて県北一帯の支配のみならず、伊勢国沼田御厨(三重県)、奥州葛岡(岩手県)の地頭職を兼ねた。時期は不明だが、重忠はこの館から菅谷館へ移った。頼朝亡き後、北条氏に謀られて元久2年(1205)二俣川に一族と共に討たれた。重忠42歳、子重秀23歳だった。(現地説明板、『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)