羽尾城
別名 宮前城
所在地 埼玉県滑川町羽尾字金光寺
遺構等 曲輪、土塁、横堀
現状 山林
築城年 元亀3年(1572)?
築城者 山崎若狭守?
歴代城主 山田伊賀守?、山崎若狭守?
形式 丘城(比12m)
訪城日 2009/2 感想
城跡の地図
【道案内】

【感想・メモ】
はねおじょう
東武東上線「森林公園駅」から北北東へ約800m。関越自動車道「東松山インター」から県道47号で2km程北上し、東武鉄道を陸橋で越えます。更に1km程北上した信号を右折し、500m程東進すると右手に「羽尾打越金光地集会所」があります。この南側丘陵上が城跡です。

【歴史】
城跡南側を流れる市野川が大きく蛇行した北側丘陵上に位置しています。川が蛇行した内側ではなく外側に築かれているのが特徴的かも?城跡へは北側から入ると良かったようなのですが、知らずに南側から入ってしまいました。神社があるものの、堀も土塁も見当たらず。藪も酷いので、そのまま南へ下山してしまいました。ところが、堀や土塁が残っているのは北側から西側にかけてのようで、北側には二重の土塁があるとか。また、出直したいと思います。
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『滑川村史』によると、「元亀3年(1572)松山城の出城として山崎若狭守が普請奉行をし、山田伊賀守が城主となる。天正3年(1575)伊賀守宗道が没し、山崎若狭守が城主となった。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際、徳川方の前田・上杉・真田連合軍が攻め、羽尾城には前田利家軍に包囲され陥落した」とあるが、羽尾城の記録は少なく、記述を裏付ける史料も見られないとのことです。