小机城
別名 飯田城、根小屋城
所在地 横浜市港北区小机町
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 小机城址市民の森
築城年 室町時代
築城者
歴代城主
形式 山城
訪城日 2007/9/9 感想
本丸を目指して上がっていくと、右手に立派な空堀が見えます。深さや幅があって、感動のあまり空堀へ下りていきました。空堀をあちこち歩き回るだけでかなり堪能できます。本丸への土橋もしっかりしており、本丸に入ってすぐ右手に城址碑がありますが、本丸は野球練習場になっていて、周囲にネットがあるため土塁が見づらいです。東側の二の丸には西隅に櫓台があり、北側には土塁があります。二の丸や本丸北側の空堀も素晴らしく、とにかく空堀に圧倒されるお城です。
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【感想・メモ】

【道案内】
城跡の地図
JR横浜線「小机駅」から北西へ約800m。小机駅北口を線路沿いに300m程西進し、突き当りを右折します。100m程北上して左折し、300m程西進して住宅地の間へと右折すると、「小机城址市民の森」への入り口があります。この公園が城跡です。
【歴史】
室町時代、関東管領上杉氏が築城したと言われる。文明8年(1476)、関東管領山内上杉家の家臣・長尾景春が家督争いから鉢形城で挙兵し、これに乗じ石神井城の豊島泰経も兵を挙げた為、扇谷上杉方の太田道灌が豊島氏を破り石神井城を攻め落とした。景春に味方した矢野兵庫助らと共に泰経は小机城に立て篭もり、北方の亀之甲山に布陣した道灌と対峙したが、2ヵ月後の文明10年(1489)4月、道灌らに攻め落とされ、上杉氏は北条早雲に追われ小田原北条の領地となり、40余年間廃城となった。大永4年(1524)、一族の北条氏堯の城となり、笠原越後守信為を城代として再興した。天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原城を攻め落とし、小田原北条氏が滅びると、4代目城主・弥次平衛重政が徳川家の家臣として200名の知行を与えられ、近くの台村に住むことになり、小机城は廃城となった。

本丸土橋

二の丸櫓台


こつくえじょう