上依知本間氏館
文永8年(1271)9月12日、片瀬龍ノ口にて日蓮上人が処刑されようとしたが、落雷や異変があったため刑は取りやめられ佐渡へ配流となった。身柄は北条一門の佐渡守護大仏宣時に預けられたが、実際には守護代本間六郎左衛門重連が任に当たり、重連の屋敷にも滞在したという。重連は依知に屋敷を3つ(他に、本間氏館中依知本間氏館)持ち、日蓮を崇信して全てを寺にしたとの伝承がある。本間氏の本拠は本間氏館と考えられるが、この地は八王子道や大山道が交わる交通の要衝にあたるため、館を設け一族もしくは家臣を配置した可能性がある。本間氏は海老名氏の一族で、海老名市河原口に本拠を構えた海老名源八季定の二男本間右馬允能忠が海老名郷南部恩馬郷本間村に分家し、後に依知郷に移住して本間氏の祖となったといわれる。本間氏は永享の乱で鎌倉公方足利持氏に加担して幕府に敗れ、海老名氏と同様に相模において急速に衰退した。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
【歴史】


別名 下屋敷
所在地 神奈川県厚木市上依知2397
遺構等
現状 妙傳寺
築城年 鎌倉時代
築城者 本間氏または越知氏
歴代城主 本間氏、越知氏
形式
訪城日 2011/2 感想 ×
上依知小学校から北東へ約600m。相模川を県道508号「昭和橋」で南へ渡ってすぐを左折し、堤防下道路で200m程東進して右折します。400m程南下した正面にある「妙傳寺」が館跡です。
【道案内】
城跡の地図
【感想・メモ】
かみえちほんましやかた
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お寺は相模川が東から北へと大きく蛇行する内側にあり、一面田んぼが広がる東から見ると微高地にあることが分かり、館の雰囲気を感じられます。