本間氏館
文永8年(1271)9月12日、片瀬龍ノ口にて日蓮上人が処刑されようとしたが、落雷や異変があったため刑は取りやめられ佐渡へ配流となった。身柄は北条一門の佐渡守護大仏宣時に預けられたが、実際には守護代本間六郎左衛門重連が任に当たり、重連の屋敷にも滞在したという。重連は依知に屋敷を3つ(他に、上依知本間氏館中依知本間氏館)持ち、日蓮を崇信して全てを寺にしたとの伝承がある。本間氏は海老名氏の一族で、海老名市河原口に本拠を構えた海老名源八季定の二男本間右馬允能忠が海老名郷南部恩馬郷本間村に分家し、後に依知郷に移住して本間氏の祖となったといわれる。本間氏は永享の乱で鎌倉公方足利持氏に加担して幕府に敗れ、海老名氏と同様に相模において急速に衰退した。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
【歴史】


別名 本間屋敷
所在地 神奈川県厚木市金田295
遺構等
現状 妙純寺
築城年 鎌倉時代
築城者 本間六郎左衛門重連
歴代城主 本間六郎左衛門重連
形式
訪城日 2011/2 感想 ×
国道129号と上に国道246号(大和厚木バイパス)が交差する「金田」信号の南西にある妙純寺一帯が館跡といわれ、お寺に参拝者用駐車場があります。
【道案内】
城跡の地図
【感想・メモ】
ほんましやかた
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お寺には本間重連公の廟所や日蓮上人ゆかりの星井戸があります。