山本山城 |
別名 | 阿閉山城 | ||
所在地 | 湖北町山本 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、横掘、土橋、説明板 | ||
現状 | 山林 | ||
築城年 | 平安末期 | ||
築城者 | 山本義経 | ||
歴代城主 | 山本 | ||
形式 | 山城(比235m) | ||
訪城日 | 2009/11 | 感想 | ◎ |
やまもとやまじょう |
朝日小学校の東隣にある神社からか、朝日小学校から200m程西進した突き当りを右折し、500m程道沿いに進んだ右手の「宇賀神社」(神社西側に「山本山登山道」バス停有)から登ります。どちらも登山道は整備されており、前者は三の丸から取り付き、後者は二の丸に取り付きます。 |
宇賀神社からの距離は800mなのですが、勾配がかなりきついので、登るのがしんどいです。休憩を取りながら30分登ると、二の丸に到着しました。一気に視界が開け、琵琶湖が一望できます。とても気持ちいいです。更に奥に主郭があり、郭内は土塁が巡り、虎口が2つ明瞭に残っています。東側の虎口を出ると空堀が見られます。主郭北側には堀切があり、その北側には馬場跡があります。 |
治承4年(1180)、山本義経の本拠を平知盛・資盛が攻撃し、その際、京極氏の被官であった阿閉氏(あつじ)が入り本拠とした。一時、尾上城の浅見対馬守が浅井亮政に対抗して籠城した。織田信長の小谷城攻めの際、小谷城の支城としての役割を担ったが、天正10年(1582)山崎合戦後、廃城となった。 |