田中城
城跡は整備され、一回りできるよう順路があるので、それに従うとよいでしょう。城址碑から右手へ進み屋敷跡の土塁を見てから階段を登ります。5分程登ると左手に見張所と曲輪があり、右手の曲輪へ入ります。すると櫓台や金刀比羅宮があり、かなりしっかりした土塁が見られます。その北側には武者隠しや土橋?もあります。先程の曲輪の北西にある堀切を通って観音堂へと階段を上がりすぐを左手へ行き、南北に細長い曲輪を通りながら北へ進むと天主跡があり、つぶて石が見られますが、つぶて石にしては大きいのでは?と思いました。ここから北西へ少し行くと堀切があり、しっかりした土橋も見られます。更に、観音堂から南東へ下った所には井戸もあり、全体にしっかりした遺構が沢山見られてとても楽しめます。
遠景(直進した左手が登城口)
屋敷跡
天守跡北西の土橋
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県道297号と298号が交差する「田中」信号から1.8km程県道297号を西進した右手に「上寺」バス停があり、バス停にお城の説明板と駐車スペースがあります。城跡へは県道からバス停の先を右折し、突き当りを左折して小川を渡り、すぐを右手へ進みます。このまま直進し左手に城址碑がある所が登城口です。
井戸
天守跡にあるつぶて石
田中城は田中郷領主・田中氏が居城し、泰山寺野台地から舌状にのびる支丘の先端に築かれ、天主台跡の標高は220m、平地との比高差は60mである。この地には古代の山岳寺院・松蓋寺が建っていたが、廃寺跡に田中氏が築城したと思われる。『信長公記』に、元亀元年(1570)4月、織田信長の軍勢が越前の朝倉義景攻略の途次、田中城に逗留したとあり、この軍勢に豊臣秀吉、徳川家康もいた。その後、浅井長政の勢力下となったが元亀4年、信長により攻略され、明智光秀の支配を受け終焉を迎えたが、田中氏の流れをくむ田中吉政は、秀吉、家康に仕え、三河国岡崎城主、筑後国柳川城主として城下町の建設・整備をした。
(現地説明板参照)
【歴史】
【感想・メモ】
別名
所在地 滋賀県高島市安曇川町田中字大畑
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪堀、武者隠し、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代後期
築城者 佐々木田中氏綱
歴代城主 田中
形式 山城(比60m)
登城口から主郭まで約8分
訪城日 2010/9 感想
【道案内】

たなかじょう
登城口の地図
城跡の地図