小川城 |
能登川東小学校北側から県道192号で300m程西進して左折し、100m程南下して右折すると左手に「老人憩いの家」があります。ここから北へ約150m付近が城跡で、老人憩いの家に駐車させて頂きました。 |
別名 | |
所在地 | 東近江市(能登川町)小川町 |
遺構等 | 説明板 |
現状 | 宅地 |
築城年 | 戦国期 |
築城者 | 小川氏 |
歴代城主 | 小川 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2008/7/19 |
おがわじょう |
老人憩いの家の前にお城の説明板があります。説明板に150m北方の高台が城跡と書いてあったので、道路を北西に歩いてみたのですが、高台は良く分かりませんでした。どこも宅地になってしまっていたので、造成されたのかも?この通りを歩いていたら、「清和源氏浅原邸跡」の石碑があり、その奥の空き地には「清太郎広場」と書かれた石碑がありました。 |
元亀2年(1571)9月1日、織田信長勢の攻撃を受け、小川城主・小川土佐守祐忠は7人の人質を進上して許しを乞い、戦火から区民を守った。その時、城館は焼失し、祐忠は延永の一武将となった。その後、豊臣秀吉にも仕え、伊予国今治に7万石の所領を得て城主となり、関ヶ原合戦に西軍として2000人の部下とともに従軍した。(現地説明板参照) |