目加田城 |
別名 | 目賀田城 |
所在地 | 愛荘町(秦荘町)目加田 |
遺構等 | 本丸、土塁、空堀、門跡、碑、説明板 |
現状 | 目加田公民館 |
築城年 | 天正4(1576) |
築城者 | 目加田摂津守貞政 |
歴代城主 | 目加田 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2004/7/3 |
めかたじょう |
国道8号「沢」信号を東へ入り、県道220号を2km程東進した所にある路地を左へ入ります。300m程行くと目加田公民館があり、その奥が城跡です。目加田公民館の駐車場を利用すると良いでしょう。 |
城跡には城址碑と説明板があります。その向こう側に立派な土塁が残っていたので、思わず顔がほころんじゃいました。 |
天正4年(1576)織田信長が安土山へ安土城を築く際、目加田氏42代当主・目加田摂津之守貞政は領地であるこの地に新たに城を築いた。これが目加田城である。六角氏の観音寺騒動(1563)の後、目加田氏は浅井長政に従っていたが、浅井氏滅亡後は織田信長に従った。貞政の子・堅政は、天正10年の本能寺の変後、明智光秀に従ったため浪人となり、城は慶長2年(1597)廃城となった。 |