鎌刃城
【道案内】   駐車場 登城口1 登城口2 林道駐車場       城跡
北麓の番場地区に登城者用無料駐車場があります。ここから名神高速道路のガード下登城口が2ヵ所(彦根ガード44(城まで3km)と、43(城まで2km))があり、案内が出ています(比高約260m)。または、米原JCTの南方に進む林道滝谷武奈線で城の南側へ回り込んだ所からも登城できます。斜め向かいの退避スペースに駐車可能で、ここからだとほぼ平行移動となります。
【感想・メモ】
麓から登ると大堀切に出ます。そこから少し行くと石垣が見られ、主郭の枡形虎口の周囲の石垣は特に圧巻です。郭が多くて段郭や堀切、大石垣など見所盛り沢山のお城です。
【歴史】
鎌倉時代、箕浦庄の地頭であった土肥氏が築城したといわれる。文明4年(1472)、京極持清の家臣・今井秀遠に攻められ、城主・堀次郎左衛門尉は討死した。天文2年(1533)近江守護で観音寺城主・六角定頼が今井定清に命じ鎌刃城を攻めさせ、天文7年、今井定清は堀氏に代わり老臣島秀安を城代とした。その後、堀氏は六角氏に降り鎌刃城主に返り咲いたが、永禄2年(1559)浅井長政が六角承禎に抵抗したため、堀氏も浅井氏に属した。元亀元年(1570)堀秀村は老臣樋口直房とともに織田信長に内応し、これを知った浅井長政は鎌刃城を攻め落とし、百々越前守を城代とした。姉川の合戦で勝利した信長は再び堀秀村を城主とした。翌元亀2年、浅井長政は一向一揆軍とともに鎌刃城を攻めたが、横山城を守備していた木下藤吉郎が援軍に駆け付け、落城を免れた。天正2年(1574)、堀秀村・樋口直房は改易となり、鎌刃城は信長の直轄城となったが、まもなく廃城となった。(米原市教育委員会資料参照)
別名
所在地 滋賀県米原市(米原町)番場
遺構等 曲輪、空堀、土塁、石垣、竪堀、畝状竪堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 鎌倉時代
築城者 土肥氏
歴代城主 土肥、堀
形式 山城(比260m/標382m)
訪城日 2004/10/30
かまはじょう