彦根城
慶長5年(1600)関ヶ原合戦後、徳川四天王の一人・井伊直政は、その軍功により近江北東部18万石に封ぜられ、石田三成の佐和山城に入城した。しかし、すぐに新城を築く計画を立てたが、慶長7年死去したため嫡子・直継が跡を継いだが、直継が幼少だったため直政の遺臣が彼の遺志を継ぎ、徳川家康に伺いをたて彦根山に築城が許可された。慶長8年、彦根城築城が開始され、工事には公儀御奉行3名が付けられ7ヶ国12大名が手伝いを命じられた天下普請であった。佐和山城大津城など近隣の城の遺材を転用した。慶長11年、天守完成と同時に直継が入城し、元和8年(1622)全工事が完了し彦根城が完成した。その後、井伊氏は加増を重ね、寛永10年(1633)には譜代最高となる35万石を封した。
【歴史】
【道案内】
城跡の地図
「彦根駅」から西へ約1.2km。公園となっており、有料駐車場が城跡内に数箇所あります。
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別名 金亀城
所在地 滋賀県彦根市金亀町
遺構等 現存天守、櫓、曲輪、石垣、濠、土塁
現状 城址公園
築城年 慶長8(1603)
築城者 井伊直勝
歴代城主 井伊
形式 平山城
訪城日 2007/11/3
【感想・メモ】

詳しくは、彦根城詳細のページをご覧ください。

ひこねじょう
国宝で現存する天守は、数年前に化粧直しをしたためピッカピカでした。右の写真の佐和山口多聞櫓は佐和山城からの移築といわれる。右上写真の天秤櫓は、秀吉が築城した長浜城に内藤信成が居た頃の櫓門を移築した。彦根城は思った以上に城域が広く、石垣の周囲を回ってみるとびっくりします。更に登り石垣もあり、随分と楽しめるお城です。