登城口の地図
城跡(北城)の地図
太尾山城
別名
所在地 米原市(米原町)米原
遺構等 曲輪、土塁、堀切、竪掘、説明板
現状 山林
築城年 南北朝時代
築城者 佐々木氏
歴代城主 佐々木、京極
形式 山城(比120m)
訪城日 2006/3/21
【道案内】


【感想・メモ】
ふとおやまじょう
【歴史】
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「米原駅」から東南東へ約500mの湯谷神社が登城口です。国道8号「米原駅東口」信号を東の路地へ入り、300m程東進します。「青岸寺」手前の2本目の路地を右折し、道なりに200m程進むと「湯谷神社」があります。この神社が登り口で、ここから登ると南城のすぐ北側下の堀切に出ます。神社境内にお城の説明板があり、説明板の前に駐車スペースがあります。ちなみに「青岸寺」からも登城口があり、こちら側からだと北城の北端に出ます。
この城は、北と南に主郭がある別城一郭の城で、私は湯谷神社から登りました。道は整備されてるけど結構勾配がきつくしんどい。南城北側下の堀切まで約17分で到着し、そこから左手の北城へと長い痩せ尾根を5分程北へ歩くと左手に郭が見え、堀切を越えた先にも郭があり、もう少し登ると北城の主郭で鉄塔が建っていました。主郭には縄張図付きの説明板があり、土塁が巡っていますが草木に覆われ見難いです。ここからの眺望は良くて気持ちいいです。その後、今度は南城へと最初の堀切から南へ行きました。すぐに郭があり土塁が分かるのですが、こちらも草木が多くて見難いです。その奥に一段高い郭があり、南城の主郭です。ここにも説明板がありました。この城は、遺構は良く残っているものの、草木のせいで見難いため、何となく消化不良って気分になっちゃいました。
築城時期は不明だが、地元の土豪・米原氏が築城したといわれる。鎌倉時代には近江守護・佐々木氏が街道を監視するため小城を築き、鎌倉執権北条高時の時(1316)は佐々木京極高氏(道誉)の支城となった。その後、佐々木京極氏と佐々木六角氏、浅井氏と六角氏の争いが繰り返された城となり、永禄4年(1561)浅井長政が六角方吉田安芸守が守備するこの城を攻めたが落とせず引き返した。元亀3年(1573)、織田信長が佐和山城を攻め落とし、ついで朝妻・太尾山城を攻撃し、灰燼に帰した。
南城の北側下にある堀切
縄張図(現地説明板より)