朝妻城
資料によると中嶋神社付近一帯が城跡とのことで神社北西に説明板があります。この城は複郭の方形平城だったといわれ、中嶋神社の周囲に50mx50mもの濠が巡っていたとのことから、かなり広い城域だったのでは?と思われます。それを考えると、300m程北にある「朝妻神社」の空堀は遺構?「朝妻神社」周辺は道が狭く駐車スペースがないため、少し離れた場所に停めて歩きましょう。
【感想・メモ】
「中嶋神社」一帯が城とのことです。
別名
所在地 滋賀県米原市(米原町)朝妻筑摩
遺構等 空堀、説明板
現状 中嶋神社、朝妻神社
築城年
築城者
歴代城主
形式 平城
訪城日 2006/3/21
【道案内】
城跡の地図
あさづまじょう
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【歴史】
築城時期は不明だが、太尾山城、磯山城、佐和山城と並ぶ浅井氏の対六角氏の支城として、新庄蔵人直昌が築城した。直昌の子・直頼は浅井氏に属したが、後に信長に寝返り、秀吉の馬廻りとなった。直頼は天正11年(1583)摂津山崎へ移封されたため、朝妻城も廃されたと思われる。