城跡の地図
朝妻城
別名
所在地 米原市(米原町)朝妻筑摩
遺構等 空堀
現状 中嶋神社、朝妻神社
築城年
築城者
歴代城主
形式 平城
訪城日 2006/3/21
【道案内】


【感想・メモ】
あさづまじょう
【歴史】
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琵琶湖東岸を走る県道2号で彦根から北上した場合、県道234号と交差する「入江橋」信号から700m程北上した路地を右折した奥に「中嶋神社」があります。この付近一帯が城跡とのことですが、「入江橋」信号から1km程北上した路地を右折し(天野川を「世継橋」で渡る200m程手前)、そこから150m程東進した2本目の路地を左折し(ここから道が狭いので、車で入らない方がいいです)、100m程北上した右手に「朝妻神社」があります。この神社に空堀があります。朝妻神社付近は道が狭く駐車スペースがないため、少し離れた場所に停めて歩きましょう。
資料によると中嶋神社付近一帯が城跡とのこと。ただ、この城は複郭の方形平城だったといわれ、中嶋神社の周囲に50mx50mもの濠が巡っていたとのことから、かなり広い城域だったのでは?と思われます。それを考えると、300m程北にある「朝妻神社」の空堀は遺構かなぁって思います。
築城時期は不明だが、太尾山城、磯山城、佐和山城と並ぶ浅井氏の対六角氏の支城として、新庄蔵人直昌が築城した。直昌の子・直頼は浅井氏に属したが、後に信長に寝返り、秀吉の馬廻りとなった。直頼は天正11年(1583)摂津山崎へ移封されたため、朝妻城も廃されたと思われる。