雨森城 |
国道385号「井口南」信号を東へ入り、150m程東進した突き当りを左折します。300m程北上して右折し、300m程東進して左折すると右手に「雨森芳洲庵」が見えてきます。ここが城跡です。 |
別名 | |
所在地 | 高月町雨森1166 |
遺構等 | 土塁、説明板 |
現状 | 雨森芳洲庵、東アジア交流ハウス |
築城年 | |
築城者 | 雨森氏 |
歴代城主 | 雨森 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2008/6 |
あめのもりじょう |
井口城から南東へ約300mに位置し、雨森芳洲庵及び東アジア交流ハウスになっていて土塁が残っています。すぐ前に水車があったり、水路があって、とても情緒ある町並みです。 |
雨森氏が居城した。戦国期には雨森弥兵衛清貞が城主で、浅井氏に仕え、海北綱親、赤尾清綱と共に「海赤雨の三将」と呼ばれた。この雨森氏の末裔である雨森芳洲は、寛文8年(1668)医者を業とする清納の嫡子として生まれ、18歳の時、江戸へ上り木下順庵の門を叩き、やがて新井白石や室鳩巣と肩を並べる五人の高弟の一人に数えられた。芳洲が22歳の時、師の順庵の推挙で対馬藩の宗氏に儒者として仕え、29歳から朝鮮方佐役という外交の実務を担当し、対馬藩が受け持つ朝鮮外交で活躍した。 |