城跡の地図
積善寺城
別名
所在地 貝塚市橋本
遺構等 堀池、説明板
現状 明教寺、貝塚中央病院、宅地
築城年 桃山時代
築城者 根来寺衆
歴代城主
形式 平城
訪城日 2006/11/25
【道案内】


【感想・メモ】
しゃくぜんじじょう
【歴史】
TOPページへ
JR阪和線「和泉橋本駅」から北東へ約500m。水間鉄道「石才駅」から南西へ約600m。府道40号と府道30号が交差する「積善寺橋北」信号を西進し、100m程進んだ2本目の路地を左手前方へと左折し、すぐを左折すると、左手に「貝塚中央病院」があります。ここから、500m程南にある「明教寺」付近一帯が城跡のようです。
貝塚中央病院の前の通りに(病院のすぐ脇)説明板があります。ここから南側の近木川を渡って200m程南にある「明教寺」付近が本丸だったようで、東側に堀池として利用された池があります。
元禄元年(1558)、根来衆が岸和田の三好氏と戦った際、その砦として築かれた。その後、近木川沿いの畠中城や千石堀城等と共に、根来衆の出城として整備された。熊野街道に沿った近木川の南岸部に位置し、交通・戦略上の要地であった。天正13年(1585)、豊臣秀吉の根来衆攻めの際には、30間(約60m)四方の本丸に一部三重の濠を巡らした強固な城内に、出原右京を大将として総勢9500名の根来衆が立て籠もったといわれる。秀吉方の攻撃にも落城せず、最後は貝塚寺内の卜半斎了珍の仲介により、和談開場した。(現地説明板より)