貝塚寺内 |
別名 | 貝塚城、貝塚本願寺、願泉寺 |
所在地 | 貝塚市貝塚町 |
遺構等 | 土居、環濠跡 |
現状 | 宅地、願泉寺 |
築城年 | 天文24(1555) |
築城者 | ト半斎了珍 |
歴代城主 | |
形式 | 寺内 |
訪城日 | 2006/11/25 |
かいづかじない |
南海本線・水間鉄道「貝塚駅」から北へ約500m。府道204号で岸和田方面から南下した場合、「西町」信号を左折して府道238号に入り、200m程西進した左手に「願泉寺」があります。このお寺を中心として、寺内町が形成されています。駐車場はありませんでした。 |
寺を中心に寺内町が形成されていたようですが、お寺は工事中でした。お寺の脇に寺内町の案内板があったけど、駐車できる場所が見つからず、のんびり歩けない!と思って諦めて帰ってきました。 |
天文24年(1555)、貝塚は大坂本願寺下の貝塚御坊寺内として取り立てられ、根来寺と石山本願寺を結ぶ拠点として環濠城塞都市として発展した。天正4年(1577)織田信長が石山本願寺を総攻撃したが、天正8年、和睦した。天正10年(1582)豊臣秀吉から朱印地・寺内として取り立てられた。貝塚寺内町は、南北約800m、東西約550mの広さを持つ環濠城塞都市であった。西は大阪港、北は北境川、南は清水川を濠と見立て、これらをつなぐ形で東に濠をめぐらしていた。慶安元年(1648)の町絵図によれば、濠の内側には土塁が築かれ、6ヶ所の町の出入口には番所がおかれていた。 |