城跡の地図
山崎城
別名 鹿沢城
所在地 宍粟市山崎町鹿沢
遺構等 堀、移築門
現状 図書館、山崎小学校
築城年 天正15(1587)
築城者 木下勝俊
歴代城主 木下、池田、松井、池田
形式 丘城(比9m)
訪城日 2004/3/27
【道案内】


【感想・メモ】
やまざきじょう
【歴史】
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移築門
山崎小学校、山崎中学校、本多公園など一帯のようです。図書館の駐車場に駐車させてもらい、付近を散策しました。
旧山崎町役場のすぐ東側「山崎町役場前」信号の所に「大手前」の大きな石碑があります。山崎小学校の西側には「表御門跡」など他にも門跡の石碑があります。小学校の西側にある図書館との間の「本多公園」へ入っていくと、綺麗に積まれた石垣がありました。何だか、オモチャみたいに見えちゃいました。その奥に、移築現存門・紙屋門があります。紙屋門の両脇には白い塀がずーっとあって雰囲気が出ていました。紙屋門の前に「山崎城跡」の碑があり、その横に門の説明板があったのだけど、上の方が折れて無くなっていました。この紙屋門をくぐって前を見たらビックリ。こっちにはすっごい大きな城跡碑があるんだもん。他にも、小学校の東側には搦手の石碑もありました。あちこち、碑でお城があった事を示していて、遺構はほとんど残っていなくても良い所だなぁと思いました。
天正15年(1587)、山崎に入封した木下勝俊は篠の丸城を廃し、麓にこの山崎城を築城した。元和元年(1615)、姫路城主・池田輝政の四男輝澄が3万8千石で分知し、山崎城を拡張したが、寛永17年(1640)、輝澄は改易となった。その後、松井松平・池田氏と替わり、延宝7年(1679)大和郡山から1万石で本多忠英が入った。以後、本多氏が7代続き明治を迎えた。
土塁