城跡の地図
利神城
別名 雲突城
所在地 佐用町平福
遺構等 曲輪、石垣、空堀
現状 山林
築城年 貞和5(1349)
築城者 別所敦範
歴代城主 別所、赤松、池田
形式 山城
訪城日 2002/9/13
【道案内】

【感想・メモ】
りかんじょう
【歴史】
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国道373号沿いの、道の駅「宿場町ひらふく」から東の路地へ入り、「京橋」で佐用川を渡ると、智頭急行鉄道「平福駅」がありますが、右折して宿場町を少し南下すると登城口の案内板があります。車の場合、道の駅に駐車するとよいでしょう。
「石垣が崩落しているので危険です」という看板が登城口付近にあります。気を付けて登るぞ〜!と思ったら、ヘビが出迎えびっくり。ここは、トレッキングシューズ・軍手・杖がないと危ないです。登城道はそれ程ヤブもなく、結構なだらかな尾根道です。しかし、所々細かい砂で滑りやすくなっています、三の丸の少し手前、急カーブの所が特に滑りやすいです。この辺には小石も沢山おちていて、崖に近い方に目をむけると、もう少し大きい石も沢山落ちている。これって石垣が崩落して、崩落や風化で石が小さくなったのかしら?と思うものの、登山道付近の石は丁度足踏みに気持ち良い感じです。歩き出すこと22分で、三の丸到着。かなり広く見晴らしが良い。見渡す限りの山々に疲れも吹っ飛びます。ただ、目の前の二の丸の石垣が崩落して、その辺に転がっています。それは、本当に無残な姿。しかし、二の丸から右手の方へ目をむけると、広い馬場に、更に曲輪が広がります。しばし、三の丸からの景色を堪能し二の丸へ。この間は、急な坂道となります。二の丸から本丸石垣を見ると、やはり崩れている部分もあれば浮いてきている部分もあります。でも、全体的に石垣で囲まれ、かなり立派で素敵!本丸からは、鴉丸や大坂丸もみえます。かなり高低差があり、それぞれの曲輪が広いです。本丸もかなりの広さ。見渡す限りの青空と、周囲の景色を思いっきり堪能しました。大坂丸や鴉丸への道は、ちょっと危険に感じたので、私はそのまま来た道を戻ることにしました。それにしても、登る時より下る方がもっと滑りやすくて恐かったです。
貞和5年(1349)、別所敦範が築城した。天正6年(1578)、三木城主・別所宗治が織田信長の命で播磨へ攻め込んだ羽柴秀吉に反旗を翻すと、利神城主・別所林治も従ったため、上月城に居た尼子勝久・山中鹿之助に攻められ落城した。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦の戦功により姫路城に入城した池田輝政は、甥の池田由之に3万石を領させ、利神城に入城させた。由之は、城を近世城郭へと改修した。その後、輝政の7男・輝興が城主となったが、寛永8年(1631)赤穂城へ移封となったため、利神城は廃城となった。