野村構居
別名 野村城
所在地 兵庫県西脇市野村町
遺構等 堀跡
現状 諏訪神社
築城年
築城者
歴代城主 有田修理大夫重利
形式 居館
訪城日 2010/11 感想
杉原川と加古川が合流して加古川本流となった西側に位置し、お堂がある付近は微高地になっています。お堂の南側の畑や空地は堀跡のような雰囲気で一段低く、お堂北側の道路沿いにある小さな諏訪神社の由来記に野村城のことが少し記されています。
【感想・メモ】

【道案内】
城跡の地図
JR加古川線「西脇市駅」から東北東へ約400m。西脇駅南方から県道34号で200m東進して「野村」信号を過ぎ、更に200m東進した2本目の路地を左折します。200m程北上し道が左へ折れる右手奥にお堂があります。この付近一帯が城跡です。車は付近の余白に停めました。
永禄年間(1558-70)の城主は有田修理大夫重利で、大永年間(1521-28)には赤松氏の幕下として武功をあらわしたが、別所孫右衛門と争い永禄年間もしくは元亀年間(1570-72)に滅亡したといわれる。ところで、野間山城主有田修理大夫は元亀年間に別所重棟との戦いに敗れ自害したといい、この時期の野村城主と野間山城主は同族であった可能性がある。現地の諏訪神社由来記には、三木の別所氏による夜討ちに遭い落城し、その際の多数の死者を城の一部に神社を建立して弔っているとある。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
【歴史】

のむらこうきょ
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