妻鹿城

主郭からの景色
【歴史】
元弘3年(1333)、妻鹿長宗が築城した。応仁の乱(1467-77)後、赤松政則が赤松氏を再興させ、姫路城に一族の小寺氏を置いたが、天文14年(1547)御着城主・小寺則職が重臣・黒田重隆の器量を見抜き姫路城を与えた。重隆は妻鹿氏から妻を迎え、長男・職隆(黒田官兵衛孝高の父)が誕生した。天正5年、織田信長の命により羽柴秀吉が播磨侵攻した際、姫路城主・黒田孝高は秀吉に姫路城を譲り、妻鹿城へ移った。天正8年、三木城主別所長治が滅び、秀吉は姫路城を大修築して居城した。職隆が没した後、妻鹿城は廃城となった。
官兵衛が秀吉に姫路城を進呈した後、父親の黒田職隆と一緒に居城した。神社に城址碑と説明板、縄張図があります。2004年に訪れた時は駐車場はなく、城は藪だらけだったのですが、2014年の大河ドラマ「軍師官兵衛」のおかげで整備されていました。城内の各所に表示があり、順路もできていましたが、郭内は藪の所が多く、城としてはさほど面白味がありません。とはいえ、主郭から姫路城が望める景色を楽しんでください。
【感想・メモ】
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鳥瞰図(現地説明板より)
【道案内】
城跡の地図
登城口の地図
山陽電鉄本線「妻鹿駅」の北約700mの甲山(標高98m)が城で、南西麓の「荒神社」が登城口。神社の1本南の通りの角に無料駐車場が完備。

別名 国府山城、功山城
所在地 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿
遺構等 曲輪、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 元弘3年(1333)
築城者 妻鹿長宗
歴代城主 妻鹿、黒田
形式 山城
訪城日 2014/12/30 感想
めがじょう