城跡の地図
船上城
別名
所在地 明石市新明町
遺構等 本丸跡、水堀、土塁、碑、移築城門
現状 塚、田
築城年 永禄年間(1558-70)
築城者 別所長治
歴代城主 別所、高山、黒田長興、池田利政、小笠原忠政
形式 水城
訪城日 2003/4/27
【道案内】


【感想・メモ】
ふなげじょう
【歴史】
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山陽電鉄「西新町駅」から南西へ約900m。明石警察署から西へ100m程の所。県道718号で加古川方面へ西進した場合、右手に明石税務署がある信号(左角にGSあり)の次の信号を左折して、右側を注目すると、田んぼの中に、ポコリとした塚みたいなものが目に飛び込んでくるのですぐに分かります。
この道からだと、もう1本西側の道に回り込んで入り、田んぼの中を行く事になります。この土盛の所へ行って見ると、まだ新しい木に「船上城跡」と書かれたものが、2つの祠の手前にありました。ここから西に500m程の所を流れている高浜川が外堀だったようで、付近にはお寺が多く、あちこちに門跡や土塁が少しずつ残っているようです。でも、明石城外堀沿いに移築した長屋門を見るのを忘れてしまった。
永禄年間(1558-70)、三木城主の支城として別所氏が築城した。天正8年(1580)、羽柴秀吉に攻められ別所長治が自刃したため、船上城には高槻城主高山右近が入った。右近は、城を大幅に修築したが、天正15年、切利支丹令によって右近は追放された。その後黒田長興、池田利政が城主となり、元和2年(1616)、小笠原忠政が入封し、明石城を築城したため、船上城は廃城となった。
遠景