城跡の地図
福原城
別名 佐用城
所在地 佐用町佐用字福原
遺構等 曲輪、説明板
現状 山林
築城年 建武年間(1334-38)
築城者 佐用兵庫介範家
歴代城主 佐用、福原
形式 平山城
訪城日 2008/4/27
主郭の西と北に土塁が残り、西側の土塁上に城主だった福原藤馬允則尚の首級を祀るために建てられた福原霊社が鎮座しています。神社にお城の説明板があります。この西側と北側道路は堀跡のようです。周辺は畑は田んぼになっていますが、曲輪の雰囲気が感じ取れます。
【感想・メモ】

【道案内】

ふくはらじょう
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JR姫新線「佐用駅」から南西へ約900m。佐用駅から西へと佐用川を渡り、「病院下」信号を左折して国道179号に入り、1km程南下すると道路にお城の案内が出ているのでそこを右折します。少し先を道なりに右手へ進み上がって行くと神社があります。この付近一帯が城跡で、神社背後付近に駐車可能です。
元弘3年(1331)4月28日、淀の久我畷の戦いにおいて鎌倉方の総大将・名越尾張守高家をただ一箭に討ち取った佐用兵庫介範家が、建武年間(1334-38)、南に川、後背に山のこの地に築城し、佐用構から移った。その後、赤松三十六家衆のうちの福原氏がこの城を継いだため、福原城とも呼ばれる。戦国時代末期、東西の勢力拮抗の狭間で、西の上月城、南の高倉城、東の利神城と共に赤松一統の城郭群を形成していたが、天正5年(1577)11月、羽柴秀吉との攻防により落城した。(現地説明板参照)
【歴史】