白鳥城
県道9号「吉作」信号から100m程西進した路地を左折して1km程南下すると山を上がって行き、大きな左カーブを過ぎて400m程進むと、道路右手に「白鳥城跡」の案内があります。その後100m程進んで右カーブを過ぎてすぐ左手に3〜4台分の駐車場があり、少し戻った登城口から登ると北二の丸になります。または、更に300m程進むと右手に大きな駐車場があります。ここからだと東出丸から入れ、駐車場に城址碑があります。
別名 呉服山城
所在地 富山市呉羽町
遺構等 曲輪、土塁、堀切、空堀、井戸、碑、説明板
現状 公園、山林
築城年 戦国期
築城者 神保長職
歴代城主 神保、前田
形式 山城(比130m)
訪城日 2008/4

【道案内】
城跡の地図

三の丸と二の丸の間の堀切


【感想・メモ】
城跡は整備され、あちこちに表示があって分かりやすいです。東出丸だけ少し離れてあり、堀切を越えて更に西へ進むと三の丸です。三の丸と二の丸の間にも堀切があり、本丸は中央部が一段高くなっています。本丸から北へ下りると本丸下郭となり、本丸の周囲に空堀が巡っています。その北から西が北二の丸、本丸の西が西一の丸で、その南に西二の丸、西出丸があります。全体に良く残っていて楽しめる上、眺望も良くて気持ちいいです。

本丸

しらとりじょう
【歴史】
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天文12年(1543)、富山城を築城した神保長職が、その前後に富山城の支城として白鳥城を築城した。その後、上杉謙信が越中を支配し、謙信死後の天正6年(1578)には織田氏が支配した。天正11年、佐々成政が越中を制圧したが、天正12年、成政は織田信雄・徳川家康と結んで豊臣秀吉と敵対した。そこで、翌天正13年に秀吉が越中に攻め入り、白鳥城には前田利家家臣・岡嶋一吉、片山伊賀らが入り、その後秀吉の本陣となった。成政降伏後は前田利家が領し、守将岡嶋らは麓の安田城に居住して白鳥城を詰城とした。慶長5年(1600)頃、廃城となった。