水尾城 |
いきなり階段から藪だらけで、階段の一番上にある城址碑すら藪で隠れていました。城跡は更にひどい状態で、遺構はかなりしっかり残っており、面白そうだと思うのですが、あまりに藪がひどくて嫌気がさしてきます。堀切に橋が架けてあっても、藪で進みたくないって気分。石垣も全く見えず。藪がなければ見応えのあるお城だと思うのだけど・・・ちなみに、熊も出没するので注意してください。 |
別名 | 水尾山城 |
所在地 | 魚津市鹿熊字水尾 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、櫓台、碑、説明板 |
現状 | 山林 |
築城年 | 南北朝期 |
築城者 | 井上俊清 |
歴代城主 | 井上 |
形式 | 山城(比150m) |
訪城日 | 2008/4 |
みずおじょう |
早月川を「月形橋」で東へ渡り200m程東進して右折します。2.3km程南東へ進んで右折し、更に400m程進むと城跡の案内があるので、それに従います。ここから未舗装のかなりな悪路を進むと(途中の分岐は左手へ)、道路終点のすぐ手前左手に階段があります。この階段を上がると城跡です。道路終点が何とか切り返せる程度の広さがあり、そこに駐車可能です。 |
早月川右岸の丘陵上、水尾山(標高約302m)に築かれた山城で、松倉城跡から麓の鹿熊集落を流れる角川を挟んで西方約1kmに位置する。城の規模は南北約350m、東西180mで、貞和2年(1346)7月、北朝方の能登国守護・吉見頼隆の軍勢が南朝方の前越中国守護・井上俊清を討伐するため、松倉城と水尾南城、水尾城において合戦を行なったと『得田文書』に記されている。(現地説明板より) |