松倉城
別名 鹿熊城、金山城
所在地 魚津市鹿熊
遺構等 曲輪、土塁、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者 普門(井上)俊清
歴代城主 普門、桃井、椎名、上杉
形式 山城(比360m)
訪城日 2008/4
【歴史】
南北朝期、普門(井上)俊清が築城したといわれるが、椎名氏が築城したとの説もある。越中守護・畠山氏の守護代として、神保氏・遊佐氏・椎名氏が新川郡を支配した。応仁の乱後、神保氏と椎名氏は畠山氏の勢力が衰退したため独立を狙うが、畠山氏は長尾氏に攻められ長尾氏に属し、椎名氏も神保氏と対抗するため長尾(上杉)氏についた。永録3年(1560)、神保長職は、武田信玄・越中一向一揆と結んで松倉城を攻めたが敗退した。椎名康胤は上杉謙信に援軍を求め、神保長職の本拠・増山城を落とし、神保氏は滅亡した。永禄11年、椎名康胤は武田信玄の誘いに乗り寝返ったため、謙信は松倉城を攻め椎名康胤を追放した。その後、松倉城には上杉氏家臣・河田氏などが入ったが、天正10年(1582)織田信長の越中侵攻後、佐々氏、前田氏の属城となった。慶長年間(1596-1615)廃城となった。
駐車場の石碑がある所は井戸跡で、駐車場から上がると主郭と二郭の間の堀切があり、右手が主郭です。主郭の西側は一段高くなっており、その先は堀切でその西には祠が祭られた郭があります。主郭の東側に二郭、蔵跡、三郭、四郭と続き、郭の間には立派な堀切があります。更に東へ行くとのろし台もあります。駐車場から南へ下ると広い郭や土塁があり、大見城平という屋敷跡があります。この西方に門跡の石積みもあります。全体に見応えがあり、案内表示があって分かりやすく、とても楽しめるお城です。ただ地名の通り、城跡でカモシカと熊に遭遇しました。そこそこ整備されたお城ですが、熊対策を忘れずに!

三郭と四郭の間の堀切

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大見城平西方の石積み

大見城平

主郭と二郭の間の堀切

【感想・メモ】
「角川ダム」から東側の県道33号で600m南下して鋭角に左折します(松倉城の看板有)。あとは道にお城の案内があるので迷わず行けます。上まで車で行け駐車場完備です。
【道案内】
城跡の地図

主郭

まつくらじょう