増山城
【歴史】
和田川沿いの標高148mの丘陵上にあり、南北朝期に桃井氏が築城したと言われ、戦国期は神保長職が居城した。長職は天文12年(1543)富山城を築き、新川郡から射水郡を支配下に置いたが、上杉謙信が新川郡の椎名氏を支援し、永禄3年(1560)富山城を攻めたため、長職は落ち延び永禄5年に謙信に降伏した。その後、長職は増山城を本拠とした。長職死後の天正4年(1576)、謙信が増山城を攻略し上杉氏の支城となったが、天正9年、織田方の手に落ち、佐々成政の支城となった。天正12〜13年の前田氏との戦いで増山城は有力な拠点として大規模な拡充・改修が行われた。佐々成政降伏後は前田利家の娘婿・中川光重が居城したが、元和元年(1615)廃城となった。

長尾景為塚

長尾能景塚

登城道は整備され表示があちこちにあるのですが、この表示はあまり信用せずに城跡を歩いた方が良いかも?5分程登ると竪堀が見え、更に5分程で一の丸に着きます。この東が二の丸と書かれた本丸で、東側が一段高くなった櫓台です。二の丸の北へ下りていくと又兵衛清水と呼ばれる井戸があります。一の丸と二の丸の間を南へ進むと細長い郭があります。二の丸の東に馬洗池、三の丸があり、北側に安室屋敷があるのですが、この周囲の堀が深くて立派だけど安室屋敷への入口が分からず、適当に直登しました。馬洗池から南へ進むと横堀があり、三の丸の東〜北にも横堀があります。更に北へ進むと屋敷跡があり、その北の道路に出ると亀山城の登城口があります。かなり城跡内を歩き回り、見応えある遺構を思う存分楽しみました。城跡周辺の城下町土塁や長尾景為・能景塚等も見て回ると良いでしょう。
【感想・メモ】

本丸


【道案内】
城跡の地図
県道239号で北陸自動車道を横切り南下すると「和田川ダム」の案内があるのでそれに従います。ダムを渡りきったすぐ左前方にお城の説明板があり、そこが登城口です。登城口付近に駐車スペースがあります。
地図

馬洗池

増山城下町土塁

小判清水

安室屋敷 堀

登城口の地図
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別名 和田城
所在地 砺波市増山
遺構等 曲輪、堀、土塁、石垣、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者 桃井氏
歴代城主 桃井、神保、佐々、前田
形式 山城(比70m)
訪城日 2008/4
ますやまじょう