城跡の地図
高田城
城跡に色んな建物があるのを知り、遺構が破壊されてるのかなぁと思い、がっかりしたのですが、本丸跡の石碑がある東側の二の丸土塁やら、その他の周辺を歩き回っていても、外堀、内堀、土塁など意外と遺構が残っているし、水堀越しに見る3層の櫓の姿も美しかったです。結局かなり時間をかけて見て廻り、堪能しました。
縄張図(現地説明板より)
別名 鮫ケ城、関城
所在地 上越市本城町
遺構等 隅櫓、本丸跡、塁濠、碑、説明板
現状 公園、グランド、学校
築城年 慶長19(1614)
築城者 松平忠輝
歴代城主 松平、稲葉、戸田、松平、榊原
形式 平城
訪城日 2003/7/25
【道案内】

【感想・メモ】
二の丸土塁
たかだじょう
【歴史】
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JR高田駅から南東へ約1.8km。国道18号「鴨島」信号を西へと県道38号に入り、2km程西進すると城跡です。駐車場は完備されていますが、城跡はグランド、公園、学校等が建っています。
慶長3年(1598)春日山城主上杉景勝が会津移封となり、替わりに越前北ノ庄城主・堀秀治が入封した。秀治は慶長7年、福島城を築城し、嫡男・堀忠俊が家督を相続したものの、慶長15年、御家取り潰しとなり、松平忠輝が信濃川中島から入封した。忠輝は慶長19年、国役普請として高田城を築城した。忠輝改易後、酒井家次・松平忠昌・松平光長が26万石で入城したが、光長は延宝9年(1681)越後騒動が原因で改易となった。その後、稲葉・戸田・松平(久松)と続き、寛保元年(1741)、播磨姫路より榊原政永が15万石で入封、以後130年間榊原氏が居城し明治を迎えた。