城跡の地図
北ノ庄城
別名
所在地 福井市中央1丁目
遺構等 石垣、空堀、柴田勝家像、碑、説明板
現状 城址公園、柴田神社
築城年 天正3(1575)
築城者 柴田勝家
歴代城主 柴田、丹羽、堀、青木、結城
形式 平城
訪城日 2005/9/25
【道案内】


【感想・メモ】
きたのしょうじょう
【歴史】
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JR福井駅から南西へ約300m。JR福井駅の南を東西に走る県道5号(城の橋通り)沿いに、柴田神社や柴田公園、北ノ庄城址公園があります。ここが城跡です。公園のところだけ路肩がかなり広くとってあり、路上駐車が出きるようになっています。
随分整備されたと聞いては居たのですが、ここまでスゴイとは!本当にびっくりです。かつての面影は全くなし。発掘調査して出てきた石垣や堀など、雨がかからないように地中にあるまま、見えるようにしてくれています。狐につままれたような気分になりましたが、柴田神社の柴田勝家像がそのまま残っていて、何となくホッとしました。
北ノ庄の地名は、足羽庄という荘園が足羽川の北にあった事からついたという。柴田勝家は、越前一向一揆を鎮圧した功で、織田信長から越前を与えられた。勝家は、天正3年(1575)山間の一乗谷より便が良い北ノ庄に城を築いた。それが北ノ庄城で、九重の天守がそびえる豪壮なものであった。天正10年、本能寺で横死した信長の後継者争いで勝家は羽柴秀吉と対立したが、賤ヶ岳合戦で敗れ北ノ庄城へ逃れた。しかし、再起不能を悟り、天守にて妻・お市と共に自刃して果てた。慶長5年(1600)、結城秀康が越前国主として下総結城より入封し、福井城築城に伴い、北ノ庄城は消滅した。