屋代城

登城口

登城口から階段を上がると神社があり、既に郭です。ここから南へ郭が連なり、墓地や神社になっていますが、間に堀切や竪堀が見られます。途中、土取りで山が削られたため一旦下ることになりますが、遊歩道はちゃんとあるので歩きやすく、主郭が近づくにつれ堀切の規模も大きくなってきます。二郭と主郭にはアンテナが建っていますが、他の郭より広く、主郭には説明板があり、この付近には石積みもあります。城域が南北に長いものの、登城口から遊歩道が整備され、夏でも見やすく、堀切を楽しめるお城です。
【感想・メモ】

城跡の地図

しなの鉄道「屋代駅」すぐ東の山が城跡です。駅から北へ約500mにある踏切南東に登城口があり、その前に駐車スペースがあります。
応仁・文明年間の戦乱時代、村上氏の代官として活躍した屋代氏が村上氏と結び、海野・井上氏と抗争し、その必要性から屋代氏が築城した。天文22年(1553)武田氏が侵攻した際、屋代政国は武田方に転身し、村上義清の拠点である孤落城・葛尾城が落ち、村上氏は塩田城に逃走した。以後、屋代氏は屋代城を廃して武田方として新たに荒砥城を拠点とした。屋代氏は戦国期に村上氏・武田氏・上杉氏・徳川氏と次々に主人を替えた。(現地説明板参照)
【歴史】

主郭

別名 一重山城
所在地 千曲市(更埴市)屋代
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切、石積み、説明板
現状 山林、一重山公園、神社
築城年 永正〜天文年間(1504-55)
築城者 屋代能登守信光
歴代城主 屋代
形式 山城(比100m)
登城口から主郭まで約15分
訪城日 2008/8
登城口の地図
【道案内】
やしろじょう
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