須田城 |
別名 | 臥竜山城 |
所在地 | 須坂市小山字臥竜山 |
遺構等 | 曲輪、土塁、竪堀、説明板 |
現状 | 臥竜公園 |
築城年 | 室町時代 |
築城者 | 須田氏 |
歴代城主 | 須田 |
形式 | 山城(比70m) 登城口から主郭まで約10分 |
訪城日 | 2008/6 |
鎌倉時代、井上城主である井上満実の子・為実が分家して須田氏を称し、臥竜山の東麓に居住した。須田氏は、現在の日滝から小山にかけての一帯を支配し、室町時代にこの山に築城し、南北朝期には南朝方として功績を挙げた。弘治・永禄年間(1555-70)、武田信玄の侵攻から須田氏は大岩郷の分家と二派に分かれ、須田城主・信頼−信正父子は武田氏に属し、大岩城須田氏・満親−満統は越後に逃れた。天正10年(1582)武田氏が滅び上杉景勝が北信濃四郡を支配すると、須田信正は井上氏の旧領を中心に所領を安堵された。しかし、天正13年、信正は景勝と対立し福島城で滅ぼされ、満親は海津城の城将として信濃に帰国し、満統も上杉家重臣として秀吉との折衝や武蔵国八王子城の城将として活躍した。慶長3年(1598)、上杉景勝の会津移封に際し、満親は抵抗して海津城で自害して果て、満親の子は東北へ移り、須田城は廃城となった。(『日本城郭大系8』、『図解 山城探訪 第十二集』参照) |
すだじょう |
臥竜公園の南方にある小山が城跡です。公園に無料駐車場が完備されています。 |
城跡の山は観音巡りコースになっていて、あちこちに道が造られているのでかえって分かりにくいというか、城跡の雰囲気が壊されてしまっている感じがしました。山頂には須田古城の説明板があり、北へ下りていくと須坂藩主第13代・堀直虎公の霊廟があります。更に北へ下った所には、須田城の説明板がありました。公園の西側にある昌福寺一帯は館跡と推定されているようです。 |