大草城
【歴史】
公園整備に伴い遺構が破壊されてしまったようで、普通の公園といった感じです。城址の丘が主郭で東屋の下に説明板があります。また、桜の広場が二郭で、第一駐車場が三郭だったようです。
【感想・メモ】

城跡の地図
【道案内】
中川村役場から東側道路で700m程南下して右折すると大草城址公園で、無料駐車場が完備されいます。

主郭東の二重堀切

南北朝時代(1334-1392)、大河原において宗良親王を守護した大河原城主香坂高宗氏の重要な拠点で、以後代々香坂氏の居城であったといわれる。宗良親王は後醍醐天皇の第八皇子で、征東将軍に任ぜられ、南朝の荘園であった遠江から天竜川の東側を北上し、越後・越中にまで兵を進め3年余を送ったが、興国4年(1343)(または5年)に大河原の地に入り、それから30余年間この地を本拠とし、北朝方の幕府と戦い、南朝方の勢力回復のために奔走した。親王を守護した香坂高宗氏は佐久の滋野氏の分流で、大河原への進出は平安時代末期と推定される。大草城は南北朝時代この地にあって天竜川を挟んだ北朝方の船山城(片切氏)や飯島城(飯島氏)の諸族と対峙した軍事的にも経済的にも大変重要な城であったといわれる。

参考資料
「図解 山城探訪」宮坂武男著
現地説明板

別名
所在地 長野県中川村大草
遺構等 曲輪、碑、説明板
現状 大草城址公園
築城年
築城者 香坂氏
歴代城主 香坂氏
形式 平山城
訪城日 2011/7 感想
おおくさじょう
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