飯島城 |
城域は東西に広く、東は天竜川、北は相の沢川、南は子生沢川で侵食された大きく3つの段丘に構成されています。国道の東は天竜川突端の段丘で畑地が多いもののかなり大規模な堀を見ることができます。特に主郭手前の堀は古城窪と呼ばれ幅も深さも半端じゃないです。本城には説明板がありますが、郭内は酷い藪です。国道から少し西へ入るとこちらにも四郭の立派な堀(相の堀)が見られます。また台地の上へ回り込むと本城で、こちらの堀も深く、虎口に説明板があり、郭内には土塁が北と西の二方向に巻いています。台地先端の低い位置が主郭とちょっと変わった構造ですが、西端の本城とは別の城では?と感じました。もともとは城山を中心とした台地の先端に築かれ、後に本城・登城部分を築いて移ったようです。 |
本城の虎口
二郭西の堀
JR飯田線「伊那本郷駅」から南南東へ約1.2km。国道153号で中川村から飯島町へ入って120m程北上した付近一帯が城跡です。国道から東に「前の田(三郭)」「古城(二郭)」「城山(主郭)」と続き、西に「古町」「登城」「本城」があり、「陣の垣外」は国道で分断されています。 |
平安時代末期から室町時代末までの四百有余年に亘って伊那地方に栄えた信濃の名族・片切氏の支族飯島氏(片切為行の子為綱がここに分知して飯島氏を称す)によって築城された。天正10年(1582)織田信長の伊那侵攻によって落城するまで、飯島氏が本拠地としていた。 参考資料 「図解 山城探訪」宮坂武男著 現地説明板 |
主郭西の堀と主郭
別名 | 本郷城 | ||
所在地 | 長野県飯島町本郷 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、堀切、説明板 | ||
現状 | 山林、畑、宅地 | ||
築城年 | |||
築城者 | 飯島氏 | ||
歴代城主 | 飯島氏 | ||
形式 | 平山城 | ||
訪城日 | 2011/7 | 感想 | ◎ |
いいじまじょう |