城跡の地図
国吉城
別名
所在地 美浜町佐柿
遺構等 曲輪、土塁、空堀、堀切、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 天文年間(1532-55)
築城者 栗屋越中守勝久
歴代城主 栗屋
形式 山城(比140m)
訪城日 2005/9/24
【道案内】


【感想・メモ】
くによしじょう
【歴史】
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国道27号で敦賀から美浜方面へ西進します。坂尻地区でトンネルを出て500m程行った「佐柿口」バス停すぐ手前の路地を左に入ります。300m程南下すると道が突き当たるので、そこを左折します。そのまま道なりに行くと「徳賞寺」がありますが、お寺の手前左手に観光者用駐車場があり、城跡はお寺の北側の城山となります。
お寺へと最後に左折する所に国吉城付近の説明板があり、山の麓は城主居館跡で登り始めにお城のパンフがありました。主郭まで500mで、道は整備されていますが階段が続き、結構しんどいです。10分程登ると左手が伝二の丸で、枡形虎口がしっかりし、土塁が巡っています。伝二の丸から更に10分程登ると本丸下の堀切に出て、ここから右手が本丸、左手は北西曲輪群となっています。本丸は土塁があり、背後には立派な堀切と小さな堀切2本があります。また眺望が良く、日本海が見え気持ちがいいです。曲輪群も整備され見やすかったです。石垣は全体的に崩落していましたが、僅かに残っている所があります。
天文年間(1532-55)、後瀬山城主若狭守護・武田義統の有力被官だった粟屋勝久が築城した。永禄6〜12年(1563-69)、越前朝倉義景がこの城を攻めたが落城しなかった。元亀元年(1570)、勝久は織田信長の越前侵攻の際、熊川城に信長を出迎え、信長はこの国吉城を越前攻めの本陣とした。その後、勝久は豊臣秀吉によって改易され、替わって木村重滋が入封し佐柿に城下町を作った。しかし、重滋も文禄4年(1595)に改易された。江戸時代には、小浜城主酒井氏の佐柿陣屋(奉行所)が粟屋勝久館跡に置かれた。
縄張図(現地説明板より)