城跡の地図
粟屋勝久居館
別名
所在地 美浜町佐柿
遺構等 曲輪、土塁、石垣、説明板
現状
築城年
築城者 栗屋越中守勝久
歴代城主 栗屋
形式 居館
訪城日 2006/10/28
【道案内】


【感想・メモ】
あわやかつひさきょかん
【歴史】
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国道27号で敦賀から美浜方面へ西進します。坂尻地区でトンネルから出て500m程行った「佐柿口」バス停すぐ手前の路地を左に入ります。300m程南下すると道が突き当たるので、そこを左折します。そのまま道なりに行くと「徳賞寺」がありますが、このお寺の前方(東側)に陣屋跡がありますが、この更に奥(東)が館跡です。お寺の手前(西)約200mの所に見学者用駐車場があります。
駐車場から歩いて行ったら、サル・イノシシ避け?のためか、電線が通してあったため、電線のフックを外して中に入るようになっていました。発掘調査をしたのか、石垣や土塁、石組遺構などがそのまま露出していました。そのため、かなり見応えがあって楽しめました。特に石垣が素晴らしいです。
若狭守護武田氏は後瀬山城を拠点とし、京側の大飯郡高浜は逸見氏が、越前側の三方郡佐柿には粟屋氏が配置された。この栗屋氏は国吉城主となり山麓に居館を築いた。永禄6年(1583)から数年にわたり、粟屋勝久は反朝倉として徹底抗戦の構えをとり、「籠城戦」を行った。強大な朝倉軍に対し、6年もの間、攻撃に耐え抜き、城を守り通したため、信長が褒め称えたという。
縄張図(現地説明板より)