城跡の地図
金剛院城
別名
所在地 越前市(武生市)深草2丁目
遺構等 土塁、碑
現状 金剛院
築城年 慶長元(1596)
築城者 青木紀伊守一矩
歴代城主 青木紀伊守一矩
形式 平城
訪城日 2005/9/25
【道案内】


【感想・メモ】
こんごういんじょう
【歴史】
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金剛院
JR「武生駅」・福井鉄道「武生新駅」から西へ約900m。JR武生駅から500m程西進して右折し、200m程北上した2本目の路地(左手に交番を過ぎてすぐ)を左折します。そこから500m程西進した右手に「金剛院」があります。ここが陣屋跡です。お寺に参拝者用駐車場があります。
金剛院入り口の、山号などが刻まれた上方に城址も刻まれた碑があります。また、お寺の裏手に土塁が残っています。
慶長元年(1596)、府中城主となった豊臣家臣・青木紀伊守一矩が居城した。しかし、慶長4年、北ノ庄へ転封となり、廃城となった。金剛院は、初め安泰寺と号し平出村(現越前市)にあったが、天正元年(1573)織田信長の越前進攻の際に焼亡し、八田村(現宮崎村)に移った。その後、青木氏の帰依によって平出村に堂宇を再建したとされる。慶長15年(1610)、府中領主となった本多富正によって、青木氏ゆかりの城館跡の現在地に寺基を移し、金剛院と称したとされる。
土塁