登城口の地図
篠脇城

畝状竪堀
登城道は遊歩道になっていて歩きやすいです。この城の特徴は、これでもかぁぁ〜というくらいに放射線状にある30本余もの竪堀です。途中、「大手門通」という古びた案内があるので、是非にそっちの方へ行くべし!大手門通を歩いて行くと、竪堀の下側を歩く事ができます。そこはすでに竪堀のオンパレード。少し歩けば、竪堀が次々に現れます。ひとしきり竪堀を堪能した所で、竪堀を登って腰曲輪へと出ます。そこから土塁の上が二の丸で、少し石がゴロゴロしてました。二の丸へと上がると、またまた今度は城域の西側の竪堀群が見られます。竪堀の始まりは、全て横堀になっています。主郭目指すと虎口が、格好いいです。主郭へ入ると標柱と大きな看板、石碑があります。主郭から北側を覗いてみると、かなり深い堀切があります。下りてみると、かなり深い堀切ですが、その向こう側にも堀切があります。今度は、一旦主郭へ登って戻り、西側の畝状竪堀を見る事に。二の丸から西側へ回りこんだ帯曲輪の所に、石積みが見られました。そこから横堀をずんずん南側へ歩いて、竪堀を堪能。とにかく思いっきり楽しめるお城です。
【感想・メモ】
正和元年(1312)頃、東氏村が築城し、以後東氏が代々居城した。応仁2年(1468)美濃守護代斎藤妙椿に攻められ落城するが、東常縁の詠んだ歌に感動し、歌を譲られたため城や土地を返上した。天文9年(1540)と翌年、越前朝倉氏の攻撃を受け撃退するが、守るのに不適当と判断し、天文10年、常時は郡上八幡城を築いて移り、篠脇城は廃城となった。
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【歴史】
明健神社や「古今伝授の里」の向い側に東氏館跡や庭園がありますが、この奥(南)に篠脇城の登城口があります。城へ登る人のために、登城口には杖が何本も置いてあり、標柱と説明板がありました。
別名 郡上城
所在地 岐阜県郡上市大和町牧字志ノ脇955
遺構等 曲輪、土塁、堀切、石垣、畝状竪堀、碑
現状 山林
築城年 正和元年(1312)頃
築城者 東氏村
歴代城主
形式 山城(比180m、標480m)
登城口から主郭まで約30分
訪城日 2003/5/1
【道案内】
しのわきじょう