岐阜県のお城 にしたかぎけじんや
西高木家陣屋
別名 多良城、多羅城
所在地 岐阜県大垣市上石津町宮236
遺構等 石垣、長屋門、土塁、井戸、碑、説明板
現状 上石津郷土資料館、宅地、墓地
築城年 慶長6(1601)
築城者 高木貞利
歴代城主 高木
形式 陣屋
登城時間
訪城日 2013/7/14 感想
【道案内】 城跡の地図
国道365号「上石津第三トンネル」を南へ抜け、すぐの信号[下多良」を右折(国道365号は直進)、すぐを左折し、道なりに1km程南下した右手にある「上石津郷土資料館」一帯が城跡で、資料館に無料駐車場があります。
【感想・メモ】
資料館駐車場への道中に石垣群が目に入り、嬉しくなります。資料館へ入るために右折した所の左手には古い蔵や石垣が残り、こちらは東高木家だったようです。また通りを更に南へ行った右手(西)にも石垣がありました。これだけでも大満足なのに、資料館には長屋門があり、資料館の裏手には土塁があります。更に奥には、史跡指定された西高木家墓石群があります。
【歴史】
慶長5年(1600)関ヶ原合戦前までは関一政が多羅3万石を領していたが、戦後伊勢亀山へ移封となり、替わりに高木貞利が関ヶ原の戦功により2300石で入って陣屋を構えた。高木氏は、本家の西家(元美濃今尾城主)、分家の東家高木貞友(千石・元美濃駒野城主)、北家高木貞俊(千石)の3家があり、西高木家の陣屋の東と北にそれぞれ陣屋を構えた。高木三家は大名の格式を許された交代寄合(美濃衆)の旗本で、参勤交替を行い、美濃の水行(治水)奉行の役目を代々世襲した。宝暦4年、幕命が薩摩藩に命じた宝暦治水でも奉行役を命ぜられている。
参考資料
『岐阜県中世城館跡総合調査報告書 第1集(西濃地区・本巣郡)』岐阜県教育委員会発行
『岐阜の山城ベスト50を歩く』三宅唯美・中井均(編)
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