城跡の地図
馬串砦
別名
所在地 美濃加茂市下米田町今
遺構等 曲輪
現状 山林
築城年 天正10(1582)
築城者 斎藤利堯
歴代城主 斎藤
形式 山城(比50m)
訪城日 2007/3/4
【道案内】


【感想・メモ】
まぐしとりで
【歴史】
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県道64号「川合大橋」で木曾川を北へ渡ります。1.4km程北上した信号を右折して県道350号に入り、200m程東進した2本目の路地を左折します。そこから200m程進むと右手に砕石場が見えます。ここから山に向かっている道が見えますが、これが登城口です。車は付近の余白に停めました。
採石場から登りますが、道がちゃんとあります。一旦南西に登り、途中から左に折れて北東方面へ進むと曲輪があります。曲輪の北側には凹みがあり、東側には土塁状の高まりもあるのですが、遺構なのか明瞭ではありません。更に奥へ進むと三角形の曲輪があります。ここが一番削平もしっかりし、このお城では広い曲輪です。この南側に墓碑があり、その前を通って上へ登ると主郭です。ここは藪だらけでとても狭く、枝のせいで眺望もイマイチ。全体に遺構は明瞭ではなく、曲輪も削平が甘いといった感じで、一時的な使用した陣城だったのだと思いました。
天正10年(1582)、金山城主森長可が、加治田城主斎藤利堯らの籠もる牛ヶ鼻砦を攻める際に築いた陣城。長可が牛ヶ鼻砦の斎藤軍(織田信孝勢)を破り、更に東濃地方をほぼ平定して以降、この砦は役割を終えた。また、馬串山付近はもともとは米田城主肥田玄蕃の所領だったが、森長可が下屋敷を築くため所望したが断られたため、長可と玄蕃が争う原因になったと『兼山記』に記されている。
二の郭を見下ろす
登城口
登城口の地図