岐阜県のお城 あさのゆきながじん
浅野幸長陣(東軍)
別名
所在地 岐阜県垂井町垂井824
遺構等 碑、説明板
現状 垂井一里塚
築城年 慶長5(1600)
築城者 浅野幸長
歴代城主 浅野幸長
形式 陣城
登城時間
訪城日 2008/12/28 感想
【道案内】 城跡の地図
国道21号「日守」信号を西へと旧道(中山道)に入り、150m程西進した左手「垂井一里塚」付近が陣跡です。
【感想・メモ】
一里塚の碑などと共に、浅野幸長陣跡の説明板があります。家康の本陣である桃配山からは東へ2km程で、ここから真南へ2〜3kmの場所にある南宮山の毛利秀元軍に備えた布陣であった。
【歴史】
浅野幸長は、五奉行の一人で、浅野長政の長男である。関ヶ原の合戦時は、甲斐府中十六万石の領主だった。石田三成とは犬猿の仲で、前田利家が亡くなると、加藤清正ら七将で三成を襲った。関ヶ原合戦では東軍に属し、池田輝政らと岐阜城を攻略。合戦当日には南宮山の西軍に備え一里塚付近に陣を構えた。
参考資料
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