城跡の地図
別名 毛利秀元陣所
所在地 岐阜県垂井町宮代
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状 山林
築城年 慶長5年(1600)
築城者 毛利秀元
歴代城主 毛利秀元
形式 陣所(比362m)
神社から山頂まで約1時間
訪城日 2006/11/4
【道案内】


【感想・メモ】
なんぐうさん
南宮山(西軍)
【歴史】
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国道21号「御所野」信号を南に入ります。そのまま1.2km程南下すると正面に「南宮大社」があります。この神社の南西奥から南宮山へのハイキングコースがあるので、これを登ると陣所跡(山頂)に行けます。(南宮大社に向かって左手の道を行くとハイキングコースの案内板があり、奥の稲荷神社を通り過ぎたところを左へ曲がって小川を越えれば、そのままハイキングコースとなる)車は南宮大社の駐車場に停めました。
ひたすら階段を登る道で結構しんどい。5分も登ると池が両側にあり「安国寺恵瓊陣跡」の説明板があるが、陣所は左手(東)の「東蛇溜池」の東側である。ここから道が二手に分かれるが、どちらでも疲労度は変わらないと思う。約1時間で山頂に辿り着くが、それよりかなり手前の右手に立派な削平地があった。ここに毛利軍が居たか?と思って見ていた。更に登ると右手に神社を過ぎ、もう少し登って左手に空掘が見えた。すぐ横に土塁もあり、土塁上からだと土塁が曲がっているのが良く分かる。ここから山頂はすぐで東屋や説明板、碑がある。更に奥へ行くと土橋が見えた。かなり疲れたが、遺構と眺望の良さで気分が良い。
中国120万石の太守である毛利輝元の養子。関ヶ原合戦では西軍に参戦した輝元の名代で南宮山に陣を構えたが、東軍に内通した一族の吉川広家に押し止められ、合戦に参戦できなかった。その際、進退に窮した秀元が、麾下に兵糧を使う真似をさせた話は、「宰相殿のから弁当」として知られている。その後、大坂城に戻った秀元は、籠城して徹底抗戦することを主張したが聞き入れられず、毛利家は大幅に減封された。(現地説明板より)
山頂