【道案内】 |
城跡の地図 |
登城口の地図 |
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勝山御殿駐車場に車を停め、御殿西側の道を500m程北へ進むと一切宗大王寺との分岐があります。ここが登城口(写真@)で、一切宗の石碑の左手の道へ進みます(勝山山頂まで1500mと表示有)。8分程歩くと分岐があり両者とも勝山へ至りますが、左手が近道で勝山まで990m(写真A)。私は近道を進み、勝山城見学後は青山城へと縦走しました。 |
【感想・メモ】 |
近道の表示から10分弱で青山との縦走路(写真B)に至り、勝山まで490mとあります。山頂近くは巨岩が露出し険しい山登りとなりますが、南の段郭を経て山頂にある主郭に到着します。主郭は東西両端に土塁があり、展望が開けています。南斜面の石垣が見事で、ここから帯曲輪を西へ進むと西尾根に堀切が3条見られます。勝山から青山までは2650mもあり、45分程かかりました。
勝山(10分)→かつやま展望台(7分)→鎧石原古戦場(7分)→平畑山(写真C)(6分)→勝山御殿分岐(写真D)(15分)→青山 |
【歴史】 |
築城に関しては詳細不明だが、戦国時代には大永元年(1521)、大内氏重臣・内藤興盛が九州に対する備えとして在城し、大永7年(1527)、内藤興盛が城主の時に青山くずれが勃発した(青山城を参照)。弘治3年(1557)、毛利元就に追われた大内義長が山口を捨て、内藤隆世と共に籠城した。攻略に手間取った毛利氏は降伏を促す矢文を放ち、隆世は義長助命を請うため自刃した。勝山城を出た義長は長府の長福寺(功山寺)に入ったが、毛利軍に攻められ自刃した。これが大内氏の最期で、勝山城落城後は毛利元就が入江著親を城番として置いた。 |
【参考資料】 |
現地説明板
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |